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『 イタリア病 』は当分楽しめそうです・・

○ポンペイ遺跡・・・西暦79年のヴェスピオ山の噴火により一夜にして埋まった古代都市。前日の夜、ホテルのお土産屋のおじさんが「明日はどこに行くのか?」「ポンペイです」というと、「あそこはラスベガスとだよ」と教えてくれました。なるほど、とてもわかりやすい説明です。昔のローマの人々が、娯楽や休養を求めて出かけた街。2000年前の街とは思えません。

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・富士山のような形をしていたとか、吹き飛んだ部分が街を埋めてしまったのですね。
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・この額縁の中には花や虫や動物の浮き彫りがびっしり、この技術がカメオの由来だそうです。
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・壁画のきれいな色や風呂全体を覆う絵が見事です。
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これで楽しい旅も終わりました。(これからは、あと付けの知識を求める旅を楽しみたい・・トランクに詰め込んできた重たい図録で)
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『 イタリア病 』は当分楽しめそうです・・

○ピサ・・・中世に海運都市として栄えた都市,現在の海岸線はずっと遠くなっている。1173着工のピサの斜塔。

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・斜塔からの景色。300段ほどの階段を上った頂上は結構怖い、しかし景色は美しい。
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・手前から洗礼堂、大聖堂、斜塔。
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・内部は大きくてなかなか目でとらえられないのですが、ここは写真の威力です。
・冬の1月は少し寒いのを我慢すると観光客がすくなく、待ち時間が短くてゆっくり観光ができる。
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『 イタリア病 』は当分楽しめそうです・・

○ヴェネツィア・・・ここは商業国家としてビザンチン文化が根づき、イスラム世界との交流が維持されていて、ユダヤ人コミュニティも独自の地位を築いていたという。ローマに続いてルネッサンス文化へと入っていった。

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・朝7時30頃朝市が始まる。道の両側のBAR(バール)やお肉屋さんとともに。
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・サンマルコ広場、鐘楼 
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・ゴンドラで生活圏の住居、アパート・・・壁が油絵のマチエールかな。
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・ヴェネツィアガラスのショーウィンドー
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『 イタリア病 』は当分楽しめそうです・・

○ローマ・・・歴代の教皇がルネッサンス精神を受け入れ、進んで学術、芸術のパトロンとなったといわれる。(フィレンツェに後れること100年)
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・コロッセオ(80年、古代ローマ時代の円形闘技場、5万人収容)

○16世紀冒頭にはサン・ピエトロ大聖堂、ヴァチカン宮殿の大改築が始められた。(改修前の聖堂は4世紀にコンスタンティヌス帝により聖ペテロの墓所の上に造られ、手入れの悪い状態だった)
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・バチカン市国(この土曜日は巡礼者が広場を囲むほどの列で一般客は入れなかった)
・昔ながらのバチカンを守るのはスイスの傭兵
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・夕方のスペイン広場とアッピア街道(笠松の並木)
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『 イタリア病 』は当分楽しめそうです・・

目の前にある大きなものに圧倒される旅行でしたが、帰ってきて少し勉強したくなりました。
ルネッサンスとは・・14・5世紀を中心にイタリアから始まりのちに他のヨーロッパ諸国に広まった文化運動の総体。395年ローマ帝国・東西分割。476年西ローマ帝国の滅亡(ゲルマン民族の大移動、ゲルマン人の支配下に入ったということ)。ここにローマの古代は死んだといわれるが、ルネッサンスは13世紀後半のフィレンツェで「古典・古代」のギリシャ・ローマ文化の復活を目指す運動として始まった。復活をめざしたギリシャ・ローマ文化を受け継いでいたのは、次の二つの文明である。
東ローマ帝国は・・・ビザンチン帝国(コンスタンティノープルを首府とする帝国)として、ヘレニズム文明(ヘレニズムとはギリシャ文明)を継承し、ローマ帝国のラテン語文化をギリシャ語に変換して受け継いだ。
イスラム文明・・・イスラム教は7世紀にアラビアで生まれ、その文明が拡大(東はイラン高原からインド、西はイベリア半島)する間に、ヘレニズムの遺産をのみ込みギリシャ語をアラビア語に訳して、ギリシャの哲学もヘレニズム文明も「アラビア科学」として大成した。
この、ヘレニズム文明とイスラム文明によって、「古典・古代」のギリシャ・ローマ文化は受け継がれて発展していた。ルネッサンスは、この二つの成果を引継ぎ、かつての地中海文明をしのぐ形で受けつがれ花開いた、そして17世紀には終了した。(昔理解できなかった歴史が少し見えた・・旅の大いなる成果です。)

イタリアルネッサンスはフィレンツェにはじまり、ローマ、ベネツィアへ、そしてイタリア全土に広がりった。まずはフィレンツェの景色をお楽しみください。

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・ジョットの鐘楼(ジョット1264頃から1336)      
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・サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖母教会)と内部

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・ミケランジェロ広場からのフィレンツェ
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・シンヨーリオ広場とウフィッイ美術館の一角
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・美術館の回廊からのベッキオ橋と夕景
☆フィレンツェといえばメディチ家・・・薬種業、金融業で財を成し、15世紀コジモの時に実力者になった。最初の邸宅はメディチ・リッカルディ宮殿→ピッテイ宮殿(ラファエロの名作)→ウフィツィ宮殿、ベッキオ橋から続く回廊。
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